2006年の春から始めた求職活動も紆余曲折を経てなんとか2006年末、年もおしせまった上海で終止符を打つことができました!今後は上海での暮らしについて書いていきたいと思います。
2025-05
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今年6月から求職生活を始めてはや7ヶ月目、
当初は地元の九州でなんとか仕事を見つけたいと思っていたが 希望する中国語関係の求人が少なく、また仕事を探す過程で 自分の中国語レベルの低さも思い知った。 今年の春、まだ寒かった南東北を発って故郷の九州に帰るとき もうずっと九州に住もうと決めていたので、一時は中国語関係 でなくても安定した会社に勤めて、中国語は趣味として続けて いけばいいかなと思った。 でも、どうしても最後には中国語を手放せなかった。 もう一度中国に行こうかな、とも何度も思ったがもう一歩が 踏み出せなかった。(歳も歳だし) いろいろあがいた末の10月、ハローワークから中国貿易関係の 求人元へ電話をしたときに、いろいろインタビューされ 「中国語は話せますか?」 と言われたとき、中国へもう一度行こう、と思った。 それはただの質問だったのだが、その意味としては 仕事で中国語を使えますか? ということだった。それに躊躇なく「はい」と答えられない くせにそれでも中国語にこだわっている自分を滑稽だと感じた。 そして、中国に行こうと思った。行ってなんでもいいから 仕事を見つけて働こう、とにかく暮らせればいいや、と思った。 そしてもうすぐ出発、いくつかの人材紹介会社に登録して いくつかの求人案件をもらった。そこでまた迷いが生じた。 いろんな種類の求人―工場管理、不動産営業、秘書、 コールセンターオペレーターなどなど。 とにかく中国に行こうと思っていた私は、また迷いだした。 どの仕事が将来自分の役に立つのだろう?というより自分は 将来どうなっていたいんだろう?もうすぐ不惑の年だというのに、 こんなことで惑っている自分が情けない・・・。 ![]() PR |
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